SILVER DREAM
〜GIN−IRO NO YUME〜
目の前に広がるのは、広い空間だった。 部屋やホールなどではない。屋外でもなく、洞窟の中という訳でもない。「空間」としか言いようがない場所。暗くもなく、かといって明るいとも言えない。昼も夜も存在しない場所。 ふと気配を感じて振り返る。 氷……? ――いや、フィブリゾが作り出したクリスタルに似ている、透明な塊。天井から生えているのか、それとも床から生えているのかわからない――そう、屋内という感じはしないのに、ここには天井と床があったのだ――巨大なオブジェが立てられている。その中に、一人の男が閉じ込められていた。 氷だかクリスタルだかの中にいる為、よくはわからないが、多分背は高いだろう。長い黒髪が印象的だ。男の腰辺りまで伸びている。髪はなびいていた。風に吹かれている場面を切り取ったかのように。両の瞼は閉じられていて、瞳の色はわからない。着ている服は黒に統一されていた。夜を連想させる漆黒。 時間がここだけ止まっているような、そんな錯覚に陥る。 自分でも理解できない衝動に突き動かされ、氷だかクリスタルだかにひたりと手を当てた。……冷たい。 クリスタル――ではない。これは、氷? だが氷にしては冷たくない。冷たいには冷たいが、長時間触っていられないような冷たさはない。 なのに何故氷だと思ったのか。問われても答えられない。漠然と、そう思ったのだ。 光源がどこにあるのか知らないが、氷は、きらきらと光を反射していた。淡い銀色の光。それでも彼の持つ暗さは消しきれていない。 …………? 目の錯覚だろうか。一瞬、彼自身が銀色の光を放っているように見えた。 「――――――――…………」 何かを言おうとして、口を開いた。しかし何を言いたかったのかを忘れてしまう。結局、何も言えずに口を閉じる。 氷に閉じ込められて微動だにしない男。表情はなく、ただ静かに佇んでいる。心がない石ころのように。 氷に触れていると、何かがわかるような気がして、両手を押し当てる。氷の中にいる彼から、なにかが伝わってくるような気がして。 何を知りたいのか、何故こんなに彼が気になるのか。自問自答しかけてやめた。 そんなのはどうでもいい。理由付けしなくてもいい。彼を知りたいという感情に、名前をつける必要はない。 知りたい、その思いだけで充分だ。それが理由。この感情の存在自体が理由だ。 彼を見つめている内に、不意に気がついた。 「――あなたは……」 ここにはあたし以外、だれもいない。誰も来ない。独りの環境。 「あなたは、孤独なのね」 広い場所に、独りきりで、一体いつからここにいたのか。あたしには想像すらできない。長い時の中を、いつから独りで過ごしてきたのだろう。そして、いつまで過ごすのだろう。 寒さを、感じた。 この場所は、いままで暑くも寒くもなかった。彼の存在と孤独に気付いた瞬間、ここに吹雪が吹き荒れているかのような冷気が入り込んできた。 これは――この寒さは、彼がずっと感じつづけている思いなのか。ここで、独りきりにされてからずっと。 「……でも、」 寒さは和らがない。あたしがここに来ても、来なかったとしても。彼は寒いと感じつづけるだろう。 「あたしでは寒さを暖かさに変えられない」 あなたに陽光を教えられない。春の木漏れ日、優しい日差しを、夏の突き刺すような日光を。あたしでは教えられない。 「あなたはこれからも独りきりで過ごさなければいけないのね」 生きているのか死んでいるのかわからない。仮死状態なのかもしれない。わからないが、一つ言えるのは、彼は孤独から決して解放されないという事実。 あたしと彼とでは何もかもが違うから。 あたしが動なら、彼は静。あたしを朝や昼と例えるなら、彼は夜。一瞬の光を放つあたしと、永遠の闇に閉ざされた彼。相容れぬ存在。決して交わらない、触れ合わない存在同士。 あたしがここに迷い込んだのは奇跡と言えるほど。 「でも、祈ることはできる」 闇に光は教えられなくても。闇と光が永久に交わらなくても。 「……願わくば、あなたの孤独を癒す誰かが訪れますように――――」 願うのは罪ではない。過ちでもなんでもない。だから、あたしは心の底から、望む。 彼のこの寒さを、消せる誰かがここを訪れるようにと。 氷に触れていた手を下ろす。何かが伝わってくるかもしれない――その予感は当たった。孤独という彼の淋しさが、心に直接響いた。手が氷から離れたせいでか、心まで凍り付きそうな寒さは消える。 知らずほっと息を吐いた。 「――……そろそろ、行かないと」 あたしには限りがある。人間だから永遠など存在しない。与えられた時間の中で必死に生きるのが、人間の役割なのだ。あたしも例に漏れず。 「さようなら」 多分、彼に会える日は二度と来ない。だからこれが最後だ。最初で最後の密会。誰も知らない、誰にも知られない時間。短い時間。でもいくら短くても、あたしがここに来た事実は消えない。彼にあたしの存在が刻まれなくても。あたしが彼を忘れてしまっても。この時間は消えない。 踵を返して歩き始める。どこから来たのか、どこに行くのか。知る必要性はない。足が向くまま歩けば、目的地は見えてくる。これまでがそうだったように。 次第に気配が遠ざかり、周囲は暗くなっていった。あたしは何も見えなくなっても考えていた。彼はいつか未来に光を知るだろう。寒さから暖かさに変わる瞬間が来るだろう。誰かが彼を救ってくれるだろう、と。 孤独を消せる日が、来るだろうと。 ――――それがあたしにできなくても。 ……誰かが……あたしを呼んでいる。聞き覚えのある声だ。 「リナ、おいリナ! いつまで眠ってる気だ?」 うっすら目を開けると、長い髪が目に飛び込んできた。 ――腰まで伸びている、長い黒髪。 「ようやく目が覚めたか」 ――氷の中にいる為によくはわからないが、恐らく背は高いだろう。 「……リナ? まだ寝てるのか?」 ――両の目は閉ざされていて、瞳の色はわからない。 「ぎんいろの……」 銀色に、見えたのだ。髪も着ている服も黒に統一されていて、銀など連想もできない出で立ちだったのに。氷ではなく、彼自身が銀色の光を放っているように――。 「おい、リナ?」 ぼんやりとしか見えなかった人影が、急にはっきり見えるようになる。長い金髪、長身の……。 「ガウリイ?」 名前を呟いて、がばっと起き上がった。ここは……? 「なんだ、起きてるじゃないか」 さわさわと優しく風が吹き抜ける。近くからは川のせせらぎが聞こえ、周りを見れば木々があたし(とガウリイ)を覆っている。 あ、そーか。野宿したんだっけ。 「おはよ、ガウリイ」 「おはよう。ずいぶん寝坊したな、夜更かしでもしたか?」 「してないわよ」 遅い夕飯の後、すぐに寝入ってしまったのだ。それからたったいま目が覚めるまで、あたしは一度も目を覚ましていない。夕飯を取るのが遅くなった理由は、近くに村どころか川もない状況が延々と続いたからだ。これでは腹が減りすぎて餓死してしまう、と歩きつづけた結果、なんとか川を見つけたのである。 昨日の街で見た地図がどうやら間違っていたらしい。それとも見当違いの方向に進んでいたか。 「で、銀色がなんだって?」 「は? 銀?」 ガウリイの言葉に首を傾げる。 「なによ、銀色って」 「なに、って……お前さんが言ったんじゃないか。寝起きにいきなり」 「言ってないわよ」 ガウリイに叩き起こされるまで、何かの夢でも見ていたのだろうか。全く覚えていないが。 「……まあいいか。さて、と。朝飯はまた魚にするとして、それからどうする?」 あたしは夢より現実を突きつけられて、ガウリイが言った言葉を忘れてしまった。 ぎん、いろ。銀(しろがね)に染まった彼の――――……。 既に高い位置にある太陽は、初夏を感じさせる熱を放っていた。 |
――終劇。
稿了 平成十一年五月二十六日水曜日
改稿 平成十二年二月二十日日曜日