雨の日はきみの隣で

 

 


 どすどすどすどすどす。
 かかとを床に打ちつける歩き方――大体が怒っている人間の歩き方だ――に本から顔を上げる。視界にリナの顔が入る。顔から湯気でも立ちそうなほど怒っているリナの。
 怒っているリナも綺麗だとは思う。瞳がきらきらと輝いて、怒られている時でもしばし見惚れたりする。またむくれて頬を膨らませる表情も可愛いと思う。年齢に似合わぬ表情でもリナには似合う。言うと鉄拳制裁されそうだが。
 だが、思いはしても、やはりリナに一番似合う表情は笑顔だ。こちらまでつり込まれる笑顔。
 つらつらと考えながら口を開く。リナは未だ部屋をどすんどすんと足音を立てて歩き回っていた。
「……。おいリナ」
「なによっ」
 リナは立ち止まり、牙を剥く勢いでこちらを振り返った。
「熊じゃあるまいし、じっとしてられないのか」
 彼女は部屋の中をぐるぐるぐるぐるさっきから延々と歩き回っていたのだ。彼女のその様を見れば、誰だって落ち着きが無いと思うだろう。自分とて例外ではなかった。
「誰がクマよ! 失礼ねッ」
 実際、俺もリナを熊のようだと称するのは失礼だと思う。熊は熊でも生まれたばかりの小熊か、さもなければやんちゃな仔猫と言った方が近い。仔犬ではない。リナは犬と言えるほど従順でもなければ素直でもない。
「言われたくなければじっとしてろ。そのうち床が抜けるぞ」
「だ……って……せっかくのお休みなのにッ!」
 涙声まじりの抗議。
 溜息をつき、読みかけの単行本を閉じた。どうやらリナの機嫌は雨がやまない限り、回復しないらしい。
「来週だって休みはある」
「来週も雨だったらどうするのよッ! 大っ体ねえ、こんなじめじめした雨の日に家に篭ってるなんてあたしの性分に合わないのよっ! ……せっかくの休みなのに」
 言葉の後半は今までの勢いもどこへやら。リナはやけにさびしそうに言った。どこか行きたい所でもあったのだろうか。半日もこうして不機嫌になるほど。
「出かけるか?」
「……へ?」
「そんなに出かけたいなら、今から行くか?」
 フローリングに直接座っている俺と、部屋をうろうろ徘徊していたリナの視線がかち合った。戸惑いが浮かぶリナの瞳。
 リナに初めて出会った時からまるで変わらない瞳。リナを見つめる時、一番気になるのがその瞳だった。
 瞳を憤怒にきらきらと光らせている時も、楽しそうに、あるいは嬉しそうに微笑む時も、哀しみに打ちひしがれる時も。どんな時も生命力が溢れかえっている。時々、感情がオーバーヒートしていつかパンクしてしまうのではないかと心配にすらなる。
「行くか、って……外、雨が降ってるのよ? なのに出かけるの?」
「出かけたいんじゃないのか」
 逆にリナから問い返されてこちらが戸惑った。
 雨だから出かけてはいけない、なんて誰が決めた訳でもない。出かけたい時に出かければいいのだ。まあ、キャンプに行く、とか天候に左右される場合を除いて。
「ゼルはイヤじゃないの?」
「雨の日に出かけるのが、か? 別に天気は関係ないだろう。家にいたければ家にいるし、出かけたくなれば外に出る。それじゃあ駄目なのか」
 リナは口をへの字に結び、すとんっ、と俺の隣に座った。年齢に似合わぬしかめっ面は、思った通りリナの顔に良く似合っていた。本人に言えば間違い無く鉄拳制裁が来るだろう。誰彼構わず手を上げる度胸は大したものだと関心しないでも無いが。自分が被害に遭うとなると話は別だ。
「雨の日に出かけると濡れるじゃない」
「時間がたてば乾く。それに俺は、リナといられるならどこにいようと同じだからな。リナが出かけたいなら行くし、家にいたいならこうしてるさ」
 言葉と同時にリナの肩を引き寄せる。服越しにリナの体温が伝わってきた。湿気のある室内はむしむしして不快なくらいだが、リナを抱き締めても不快とは思わない。
 ふわ……と微かに鼻腔を刺激する香り。リナが使っているシャンプーだろうか。くらりと目眩に襲われる。暴走しかねない感情に慌ててブレーキをかけた。やや力の篭る腕。リナは居心地悪そうに身じろぎした。
「……ゼルって冷たいんだか優しいんだかわからない」
「そうか?」
 リナが体勢を変えて抱きついてくる。その顔は真っ赤だった。頬に手を伸ばし、顔を寄せる。
「――――で、どうするんだ? 出かけるか?」
「耳元で囁かないでよっ」
 逃げようとするリナを抑えつける。それでもリナは逃れようと暴れて――結果、バランスを崩し床に倒れ込んだ。
 気が付けばリナを下敷きにしていた。重いと文句を言われる前に、彼女の体の両脇に手をつく。不意に気が変わり、覆い被さるようにリナを抱き締めた。
「俺は出かけるより、リナとこうしてる方がいいな」
「――ばかっ」
 悪態をつくリナに接吻する。抵抗はなかった。
 顔を見合わせてくすくす笑いながら、こんなふうにいつまでもじゃれあっていた。

 

 

――終。

稿了 平成十二年三月二十一日火曜日
改稿 平成十二年六月六日火曜日