生きる
音を立てないよう、細心の注意を払いながら窓を開ける。 同室のアメリアとシルフィールの、やすらかな眠りを邪魔したくない。 空気がカーテンを揺らした。冷たい夜風が、今は心地いい。穏やかな時間を噛み締められる。世の中は平和なのだと、安心できる。 ここはサイラーグに一番近い村だ。昼過ぎに辿り着いた。冥王宮――否、いまやただの穴倉と化している、神聖樹フラグーンの根から抜け出して。 村で一件しか無い宿屋兼飯屋で遅い昼食を取り、ひとまず体を休めようと宿もここに決めた。部屋の割り当ては男二人、女三人で一部屋ずつ。他の宿客の都合上である。全員が一部屋ずつ取れるだけのお金の余裕はあるが、旅人は何もあたしたちだけではないのだ。しかもこの村には宿屋が一件しか無い。そこであたしたちが部屋を独占する訳にもいくまい。 そんなわけで今この部屋には、あたしとアメリア、シルフィールがいた。ちなみに男性陣は隣の部屋だ。確かめた訳では無いが、彼らも寝ている筈だ。 防音がいいとは決して言えぬ宿だ。隣から何も聞こえて来ないなら、つまりは眠っていると考えて間違いない。 何処かから獣の遠吠えが聞こえてくる。他に耳に入るのはアメリアたちの微かな寝息くらいだ。ここは静けさに満ちている。酒場も兼ねている一階でさえ静かだ。いまごろはどんな酔っ払いも夢のなかに違いない。 起きている酔狂な物好きはあたしくらいだ。 眠れない――訳では、ない。体は疲れている。ベッドに横になれば、睡魔を待たなくとも眠れるだろう。眠りたくない、という訳でも、ない。明日にはこの村を発つ。あたしだって大量に消費された体力・魔力を早く回復させたい。 眠れない理由も無ければ、眠りたくない理由も無い。ならば何故眠らないのか。 ――――ただ、何となく。眠る機会を失ってしまった。アメリアたちはあたしが風呂から上がり、髪を梳かしている間に「お先に」と休んでしまった。「リナも早く寝なさいよ」という言葉を残して。 なんとなく……ベッドの中に入る気が起きないでいる内に、こんな真夜中にまでなってしまったのだ。 アメリアたちは深い眠りの中にいるのか、身じろぎすらしない。安らかな寝顔を見せて眠っている。微笑みを誘われる。眠る子供を見守る母親のように。 窓の外からは冷たい月の光。カーテン越しに淡い光を投げ込んでいる。 こんな、静かな夜は。自分ひとりが生きているように思える。世界から拒絶されたような、時間(とき)が止まったような錯覚を起こすのだ。反面、独りではないと強く感じる。朝、起きれば「おはよう」と言う相手がいて、今日の天気や行き先の話、朝食は何にしようか、などという他愛も無い会話を交わせる。 誰かが傍にいてくれると言う安心感を、改めて実感できる。 ――――静か、だ。 世界は平和なのだ。事件は全て解決した。もう何の心配もしなくていい。ガウリイは無事、戻ってきた。誰一人欠けずに。生きて戻って来れた。 ――――なのに……なんだろう。 この、胸に満ちる虚しさは。心に穴がぽっかりと空いたような空虚感は。 ぱた……ぱた、ぱた。 いくつかの染みがパジャマのズボンに広がる。 ――――あたし、泣いてるの? どうして……――――。 きゅっと唇を噛んだ。両の手を握りしめる。体の奥底から沸き起こる震えに耐えられない。 ――――あたし、生きてるんだ。 生きて、ここにいるんだ。 生き、て……。 涙は次から次へと溢れ出てきた。 まるで抑制された感情がタガを外され一気に流れ出したかのように。 夜は音もなく更けてゆく。 リナはただひとり、小さな体を震わせて泣きつづけた。 朝はすぐそこまで迫っていた。 生きているということ いま 生きているということ それは血を流し涙を零し痛みを覚え悲しみを知るということ 生きているということ いま 生きているということ それは人間で在り続けるということ 感情を開放し言葉を閉じ込め笑い歩くということ 生きているということ いま 生きているということ それは生の象徴 すべてのあかし |
――終劇。
稿了 平成十二年四月十三日木曜日
改稿 平成十二年十一月四日土曜日