午睡
ふぅわりと風に遊ばれる髪。 視界を邪魔する栗色のそれを、束ねる気も起きなくて。頬や首筋を嬲る髪をうざったいと思いつつも放っておいた。 穏やかな、午後だ。 時間は空を泳ぐ曇のように緩やかにのんびりと流れている。この場所は少なくとも平和だ。どこかの国同士が戦争を起こしていようと、どこぞで魔族が暴れまわっていようと。血生臭さなど感じられない。 耳を澄ませば、近くの小川から、さらさらと水の流れる音や、遠くの空へ飛び立つ鳥の鳴き声などが聞こえてくる。聞くとは無しに周囲の音を耳に入れながら目を伏せた。ごろりと寝転がった草のじゅうたんは思いのほか柔らかい。王家の人間が使う極上のベッドとまではいかないにしても、野宿続きで疲れた体が欲する眠りに誘われる程度には気持ちの良い場所だった。 おいで、と手を伸ばしてくる睡魔に抵抗もせず身を委ね――――かさ、と枯草を踏んだ誰かの気配にも気づかなかった。 ふと気がつけば、見慣れた姿が視界から消えていた。 昼食と小休憩を兼ねて体を落ちつけた川のほとり。側の川から釣り上げた魚は既に腹の底だ(とは言えど、仮物の体故にむろん消化などする筈も無い)。旅の連れ――自分の、ではなく彼女の、ではあるが――は、銘々の時間を好き勝手に過ごしている。ある者は愛剣の手入れをしていたり、ぼんやり空を眺めていたり、或いは――「高い所にいる方が気分がいいんですっ」と近くの木々を登って、なにやら頭の痛くなるような口上を延々と喋り続けていたり。 彼女がいなくなったと気付いたのは、その彼らの行動に半ば呆れ、半ば感心して観察している途中だった。 いつもならば仲間に囲まれ談笑している筈の彼女。それが、忽然と姿を消してしまったのだ。自分にも気取らせぬほどのさりげなさで。 一体何処に行ったのか、と少々苛立たしく思いつつも腰を上げた。なにしろ自分には彼女を守り導くという役目がある。ここで万が一にも余計な邪魔者によって彼女を喪ってしまうような事態にでもなれば……。 取り敢えず彼女が身につけている筈の呪符(タリスマン)の波動を探る。見つからなければ一大事だ。まず敵対する側の魔族に連れ去られた――結界に閉じ込められた――と考えていい。或いは、あまり考えたく無い可能性だが……既に殺され呪符も始末された後、か。 前者ならば多少面倒だが、まだなんとかなる。この世界の秩序の歪み(簡単に言えば魔族の張った結界)を見つけ乱入すればいい話だ。だが、後者の場合……。 らしくも無く焦燥感に駆られた。 奥歯を噛み締め、波動を探る。幸いにも呪符の波動はそう離れていない場所にあった。呪符だけあって持ち主の人間はいない、という事態も考えられたが、どうやら心配はいらなかったようだ。 波動を見つけると同時にその場へ移動し(当然だが誰も自分に注目していないのを確認した上で、である)、ほっと安堵の溜息をつく。 探し人は呑気にも大木の下に寝転がって休んでいた。 ――――あなたはご自分のお立場をわかっていらっしゃるのですか。 喉元まで出かかった言葉を寸前で飲み込む。安らかな寝息に気付いたのだ。非難の言葉を浴びせる代わりに、傍らへ腰を下ろした。 無防備な寝顔。決して自分には向けられぬ素の彼女の一面。たとえば、こんな偶然の時間でも訪れなければ。 欲しい――無防備な隙とも言える瞬間や、全開の笑顔を――という思いを自覚したのはいつだったか。飽くほど永い時を生きてきた筈だ。しかし何故だか、これまで生きてきた時間(とき)よりも彼女と出会ってからの時間の方が長く感じる。想いを自覚したのがいつか、思い出せないとは。そんなに昔の話でも無い筈なのに。 何気なく伸ばした手。彼女の頬に触れる直前で止まる。 進退谷(きわ)まるとは、今を言うのか。触れられもせず、かと言って手を退けられもせず。凍りついたように動きを止め、息すら押し殺して、ただ寝顔を見つめるしか出来ない。 なぜ手を止めたのか。自分でもわからない。単に眠りを邪魔しては悪いと思ったのか。それとも魔族である自分が触れていい人間ではないと思ったのか。触れれば汚れるとでも? ……彼女は自分如きが触れたくらいで汚れはしない。汚れると思うのは自惚れだ。自分が彼女を汚せると思っているという意味だ。 ――どのくらいそうしていたのか。微かに震える手を握り締め、慎重に傍らを離れた。そばにいると、顔を見ていると、自分で自分を止められなくなりそうだった。 今にも吹き出しそうな感情を暴走させそうだった。 ――――初めて……知りましたよ。 自分にも感情があっただなんて。 人間である彼女と同じ感情が自分の中にも存在していただなんて。 「…………――――――っ」 すーはーと何度か深呼吸を繰り返す。こんな人間じみた仕草も何時の間にか体に馴染んでいた。最初は意識して人間らしく振る舞っていたのが、今や己をそんじょそこらの人間より人間らしいと自負できるくらいだ。 近くに魔族がいるというのに気付きもしない人間を見下ろす。努めて何気なさを装い、彼女を揺り起こそうと手を再度伸ばした。 「リナさん、起きてください。こんな所で寝てしまっては風邪を引きますよ」 彼女が眠っている場所は大木が影を落としている。完全な日陰になっているのだ。いくら日差しがきつくても吹く風は冷たい。日の当たらない場所で寝ていれば間違い無く風邪を引いてしまう。 「リナさん、」 呼びかけつつ数度彼女の体を揺する。反応はそう待たぬ間に返った。 「――――……」 寝惚け気味に紡がれたことば。聞き取れず、「リナさん?」と尋ね返す。 「……もうすこし……このままで――――……」 モウ少シ、コノママデ、イサセテ。 また動きが止まる。彼女に触れようとして触れられなかった時のように。 彼女にとっては、もうちょっと寝させて、と言いたかっただけなのだろう。それ以上の深い意味など無かったに違いない。だが……。 彼女と自分の時間(とき)だけが止まったような錯覚に陥った。風は変わらず葉を枝を揺らし、自分たちの間を擦り抜けて行くのに。二人の時間だけが止まったように感じたのだ。 風がさわさわと木々を揺らす。夏特有の日差しは太い枝や大きな葉などに遮られてここまで届かない。 絶えず吹く風がココロを揺らす。 カラダに届かぬ筈の日差しが突き刺さる。 心地良い時が流れてる。 永遠とすら思えるような。 ――――もうすこし、このままで……。 硬直していた時間と体が動き出す。 見開いていた目を伏せ、微笑んだ。 「……ええ、そうですね。リナさん。もう少し、このままでいましょう」 たとえこの先、今得られている平安が二度と訪れなくなってしまっても。 永久の平穏など有り得ない。未来に待つのは裏切りだ。いまの平穏が嘘のような嵐だ。だが、それでも。 いまは……いまだけ、は。 このままで。 |
――終劇。
稿了 平成十二年六月二十日火曜日
改稿 平成十二年七月四日火曜日