Don't Leave Me

 

 


 笑った。
 大声で笑った。
 腹を抱えて笑った。
 肩が震えるくらい笑った。
 目じりに涙が浮かぶほど笑った。
 気が振れたかと自分でも思うほど笑った。


 笑いが、止まらなかった。


 そうして自分の中から感情が抜け落ちるまで嘲笑ってやった。
 ――――あんたは負けたんだ。
 あんたは人生という人間では大きな流れのゲームの中で負けたんだ。
 ざまあみろ。
 好きなように生きてこれ、では、さぞや悔しいだろうよ。
 せいぜい無意味な反省でもして勝ち残った俺たちを恨むがいいさ。

 

 

 


 己の体と同じくらい冷たい地面を転げ回る。
 身に付けている服も髪も汚泥にまみれた。
 低い笑いが口を突いて出る。
 まるで自分の人生のようだと。
「俺はあんたなんかが居なくても生きて行ける」
 出会うまではずっと独りだった。
 だったら誰を失おうがこの先も独りで生きて行ける筈だ。
 本気で呟いた。
 嘘などなかった。
 だがどうしてか虚しさしか残らなかった。
 どんなに叫ぼうと心に巣食う暗い大きな穴の存在を消せなかった。
 脳にまで焼き付いた残像はいくら振り払っても消えてくれなかった。

 

 

 


 一個人の人生は所詮、大きな時の流れに埋もれる小さなゲームだ。
 欲に任せて生きるなんて造作もない。
 人が思うほど難しい生き方ではない。
 金(コイン)一つで全てのカタがつくなら、これほど楽なゲームもないだろう。
 プライドを捨て肉欲のみに溺れられたなら楽になれる。


 では金と力でさえ、どうにも出来ぬ存在はどうすればいい?
 金や力ではどうにも出来ぬこの想いはどうすればいい。

 

 

 


 優しい慰めの言葉は素通りするばかりで心に留まらない。
 安易な気休めなど耳にすら入らない。
 誰もいない……俺の心にはもう誰も住んでいない。
 あんた以外、誰も。
 遅すぎる。
 遅すぎた。
 全てが、手遅れだ。

 

 

 


 彼は首を横に振り俺の言葉を否定する。
 静かに……まるで闇そのもののように静かに。
「――いいえ――」
 涙を流して。
「いいえ、それは違います」
 何処と無く寂しそうに見える笑みを浮かべながら。
「あの方は勝ったんですよ……。望みを全て叶えられたのですから。勝ち逃げをされたんです。誰もが納得せざるを得ない方法で勝って、そしてご自身が負けぬ内にとゲームを終わらせたんです。……とても、卑怯な勝ち逃げです」
 彼はそれきり、語る言葉を失ったとでも言うかのように押し黙った。
 あとはただ、涙を流すばかりだった。

 

 

 


 過ぎ去った日々は輝きを増して目を灼く。
 思い出は、まるで鮮やかな花びらが風に吹き飛ばされるように頭を巡る。
 その中の一枚の花びらを掴み取ってはまた風に遊ばせる。
 思い出ばかりを追い続ける間の抜けた心。
 現実を見つめようとせず、過去の記憶に逃げている。
 キリキリと喪失の痛みに締め付けられる心を自分で嬲り、更なる哀しみへと追い遣る。思い出の花びらを掌で弄んで。

 

 

 


 嘘だ。
 時間が解決してくれるなんてのは真っ赤な嘘だ。
 人間は辛さや悲しみなど忘れられるように出来ているなんて嘘だ。
 痛みは時が流れれば流れるほど増すばかりで手の施しようもない。
 痛みは時が流れれば流れるほど心に刻み込まれて薄れる気配すらない。
 時間は何も解決してくれない。
 忘れられる訳がない。
 あの存在を。あの輝きを。あの微笑みを……。
 赦しを乞おうと決して届かない。
 俺を赦してくれるのはあんただけなのに。
 あんたしかいなかったのに。
 あんたしか、いないのに。

 

 

 


 大切な存在を二度も見失った。
 似たような過ちを何度も繰り返して……一体何処へ辿りつくのだろう?
 何処へ辿りつけるのだろう。
 誰か教えてくれ。


 消えない、痛み。
 消せない、痛み。
 息苦しさは、増すばかりで。
 心の傷ばかりは癒せない。
 どんなに身を切り裂こうと血を流そうと。
 如何に自身を傷つけても癒されない。

 

 

 


 離れないで欲しかった。
 本当は、何処にも行かず永遠に自分の傍にいて欲しかった。
 後悔しても歯噛みしても、もう遅い。
 何もかもが手遅れになってしまった。


 嘲笑を己へ向ける。
 俺は一体いままで何をやってきたんだ。
 半身を失っても、のうのうと生き続けるしかないのか。
 死ぬ覚悟すら出来ずただ流れるまま生きるつもりなのか。
 笑いが止まらない。

 

 

 


 あんたが初めてだった。
 俺を包んでくれたのは。
 あんたが初めてだった。
 俺の心の中に強引に入ってきた奴は。
 あんたが初めてだった。
 俺を癒してくれたのは。
 あんたが初めてだった。
 俺を赦してくれたのは。


 すべて、あんたしか出来なかった。
 あんた以外、誰にも出来なかった。
 これまでも――――これからも、あんたにしか出来ない。

 

 

 

――離れるな離れるな俺の側から離れるなここには誰もいない俺を赦してくれるのはあんた以外誰もいないもう遅い手遅れだ取り戻せない高みまで飛んで行ってしまった存在離れるな離れるなずっと傍にいてくれ片時も離れるなもうここには誰もいない俺を包んでくれるのは本当にいない俺を赦してくれるのはあんた独りだけだったのにあんたしかいなかったのにだがもう遅い遅かった遅すぎたあんたの代わりはいない他の誰もあんたのかわりになんてなれないなれなかったのにどんなに身を切り血を流しても癒せないえぐれた傷――

 

 

 


 次々現れては去って行く者達。
 黒き闇色の神官は手向けの花を捧げ黙祷し、
「せめて安らかに……」
 巫女は祈りを捧げ、
「――――独りでいかせないさ」
 剣士は自害し、
「わたしには……墓守の真似事くらいしか出来ません……」
 王女は墓を許された者しか入れぬ場所へ隠匿し、
「ほんとうに馬鹿な娘――」
 血族は彼女の名前を後世まで遺そうと伝承を作り上げた。


 では、俺は?
 何をすればいい?
 俺に何が出来る?
 何をしてやれる?






 何かにせっつかれるように、ただひたすらがむしゃらに突っ走ってきたこの道を、いま初めて振り返る。
 ……後ろには、誰もいない。
 前に向き直っても誰の姿もない。
 いつも隣にいたあんたはもういない。
 どんな時も傍らにいてくれたあんたはもういない。
 どこにもいない。
 視界に、入らない。
 その姿は目に映らず声は耳に届かず、なのに脳裏に鮮明に蘇る。
 羽より軽いその体の重みもやわらかな髪も滑かなその肌も。
 拗ねた膨れっ面も鈴の音より軽やかな笑い声も触れたその温もりでさえ。
 幻に振り回されるほどしっかり思い出せるのに。
 影すらも刻印のように自分の中にはっきりくっきりと残されているのに。
 どうして本体は、生身の肉体は……あんたは、俺のそばにいない?






 ――――リナ……。
 何故だ。
 なぜ、死んだ。




 

 

――終劇。

稿了 平成十二年八月十五日火曜日
改稿 平成十二年八月十六日水曜日

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


「Don't leave me, please......」


引き千切れた心は、もう二度と元に戻らない。