90%の向上心

 

 


 しとしと、しとしと。静かに雨が降る日だった。
 激しくはない為にいつ降り止むかわからぬ雨だ。
 室内は静かだった。時折魔道書のページをめくる音と雨の音しか耳に入らない。肌寒さを感じるのは気温のせいだけでなさそうだ。もし第三者がこの部屋に足を踏み入れたならば、この重く横たわる沈黙に引いただろう。
 しかし幸か不幸か、この部屋に用のある者などいなかった。いや、ドアには部屋の主が鍵をかけている。魔術を使わぬ限り、またこの部屋にいる者が鍵を開けぬ限りは誰も部屋に入れない。
「時々、おまえを殺したくなる」
 男の声が閉鎖された空間――窓は雨が入らないようにと締めきってあるし、ドアには前述の通り鍵がかかっている――に響いた。先ほどまで椅子に座り魔道書を読んでいたのではなかったか。
 男の顔は言葉がやけに物騒な響きを帯びている割に穏やかだ。彼の視線の先はベッドに向けられていた。より正確に言うならばベッドに寝そべっている女に。
 女は今まで読書に集中していたらしい。男が声を掛けるまで微動だにしなかった。
 女は本から顔を上げ、視線で言葉の意味を尋ねた。
「どんなに恋焦がれても手に入らない。それならいっそ殺して自分のものにしたくなる」
 女は器用にも片方だけ眉を上げた。
「なんで殺さないの?」
 彼女の唇には笑みが刻まれている。男の言葉を面白がっているのだ。
 男は肩をすくめた。
「殺したところでおまえが手に入る訳じゃない」
「……。さっきのセリフと矛盾してるわよ」
 彼は殺して自分のものにしたくなる、と言ったのだ。裏を返すと、殺せば手に入るという意味だ。
「そうだな」
 彼は頷き続ける。
「だが事実だろう。おまえを殺せば、永遠に誰の手にも渡らなくなるかもしれんが、俺の手の中にも戻ってこない」
 女は彼の言葉にくすくす笑った。まるで「わかってるじゃない」とでも言いたそうに。
「まったくもってそのとーりね」
 男はあっけらかんと言う女に苦笑いを浮かべた。心の内で他人事だと思って、と恨み言を並べたかどうかは定かでない。
 女の物言いには何も言葉を返さず、ただ続きを言う。
「だから殺したくなる度に殺しても無意味だと余計に打ちのめされる」
 矢張り彼の顔は殺したくなる、と言った時と同じく穏やかだった。彼の表情からは、打ちのめされるという彼の言葉通りの感情を見出せない。
「……いまも?」
 男は苦笑を微笑に変えた。
 やわらかな微笑みは、ごく最近になってようやく見せるようになった。女の前でだけ。男はその事実に女が密かな優越感を抱いているのを知らない。おそらく自分が微笑んでいると気づいてもいないのだろう。
「いや。今は……そうだな。絶望の黒い影は見えないな」
「詩人ね。で、いまはどうしたいの?」
 男は女の言葉に三度表情を変えた。今度は何かを企んでいるような笑みだ。歳の割に子供っぽい笑みだが、意外にも男に似合う表情だった。
「一生おまえに付き纏ってやる」
 完全に予想外の返答だったらしい。女は目を丸くした。だがすぐさま男に負けず劣らずの笑みを浮かべる。
「ふぅん? それで?」
「一生が終わるまでにはおまえを手に入れてみせるさ」
 女は自信の満ち溢れる台詞にけらけら笑い出した。馬鹿にしているのではない。完全に度肝を抜かれたのだ。つい笑いが先に立ってしまったという訳だ。
「殊勝な心がけね」
 女は笑いを収め、目尻に浮かんだ涙を細い指先で拭った。
「勤勉なゼルにいいことを教えてあげるわ」
 ゼルと呼ばれた男は首を捻った。彼女は一体、何を言い出すのだろうと。
「あたしね、あなたを見てるとすっごくイライラするのよ」
 にこにこ笑いながら言った為か。他の者が見れば戦慄すら覚えたであろう。男――ゼルガディスは先ほどの彼女のようににやりと唇を歪めた。先の彼女と同じく話の成り行きを面白がっているのだ。
「ほう。何故だ?」
「なにかある度に根暗〜く落ち込んでるでしょ。前向きって言葉を知らないあなたの姿を見ると苛つくの」
 ずばずばと遠慮も杓子もない女の言葉。しかしゼルガディスは怒り出しもせず「それで? 見捨てない理由はなんだ?」と先を促しただけだった。変わらず笑みを浮かべ。
「だってあたしが見捨てたらあなた、一生暗いままじゃない」
 ふっとゼルガディスの顔から笑みが消えた。
 だんだん女が何を言いたいのかわかってきたようだ。
「だからあたしが一生掛けてでも、あなたのその根暗な性格を変えてあげる」
 ゼルガディスは不満そうに苦笑した。
「一生かかっても俺の性格が直らないとでも言いたげだな」
 女は彼ににっこりと笑いかけた。
「反論できる?」
「さぁな」
 ゼルガディスは口の端を上げ笑った。内心で、この性格が直らないのを祈った――――直さないと誓ったかどうかは、読者諸氏のご想像にお任せしよう。




――終。


あとがき


 ちょっとした試み。実験的な小説なので、文章が今まで以上に拙いのはご容赦。こんな変な(爆)ゼルリナもたまにはいいだろう。うん。在り来たりな話じゃつまらない死♪(誤魔化し) あ、リナの名前、最初から最後まで出てきてないや……(をィ)。
 何はともあれ、ここまでお読み下さり有難う御座いました。

 

 

稿了 平成十二年十月十八日水曜日
改稿 平成十二年十一月十日金曜日