コーヒーブレイク


 寒かったでしょ、どうぞ入って。
 そう言って招き入れた。彼の頬は寒さで赤い。
 先に立ってリビングまで案内する。案内とは言えど形式上だ。何度も互いの家を行き来している。
「暖かいですね」
 呟きを聞き逃さない。「暖房きいてるから。さっき外に出たから設定温度上げたの。貸して」
 温度を上げておいて良かった。レゾの体を早く温められる。彼は体調管理を徹底させている為に(あたしと違って)滅多に体調を崩さない。それでも体が冷えたままでいれば風邪を引く。
 コートを受け取りハンガーにかけた。干してある洗濯物から若干離して引っ掛ける。なるべく暖房の風が当たる場所を選んだ。早く乾かせるように。
「いえ、そうではなく……。――外に出た、とは?」
 レゾは何かを否定しかけ、後半で声のトーンを変えた。
 しまったと自分の発言を後悔しても遅い。レゾは心配そうにこちらを窺っている。
 雨のなか会いに行ったら、どう思われるのか。簡単に予想できたのに。これでは行かなくても変わらない。全く同じ個所で予想通りの反応を示すのだから。
「洗濯物入れただけよ。朝は少しだけど晴れ間が出てたから干してたの。雨が降るなんておもわなくて」
 買い物に行った訳でも、ましてや遊ぶ為に出た訳でもない。時間にして一分もない。この程度なら心配無用だ。大袈裟に捉える必要はない。そう言外に匂わせ肩を竦める。
 これが買い物や、銀行、郵便局などでの所用なら、代わりに行ったのにと言われたかもしれない。だが洗濯物の取り込みは……風邪を引いていたとしても頼みたくない。シャツやジーンズ、タオル類ならまだいい。洗濯物にはインナー(下着類)も含まれるのだ。
「……そうですか」
 言い足りなそうな顔で黙り込んだ。渋々といった様子だ。
 彼にしてみれば、どんな理由があれ家の中で大人しくしていてほしいのだろう。風邪がぶり返したら大変だと思っているに違いない。とは言え洗濯物を外に出しっぱなしだと雨に濡れる。代わりに入れるのも抵抗がある。だから何も言わなかったのだ。
 あたしにしてみれば過保護もいいところだ。そこまで心配性で疲れないだろうか。
 彼の様子には構わず座っててとソファを指した。台所に立ちコーヒーの準備に取りかかる。腕の見せどころだ。
 家族以外には誰にも煎れていない。ガウリイ辺りを実験台にすれば良かったか。いやしかし彼の場合、味は二の次で飲めればいいという主義だ。決して味オンチではない。美味しい不味いをはっきり言わないのだ。意見を参考にできない。
 ゼルなら? 味にはこだわる。こだわりすぎて美味しく煎れても素直に誉めてくれそうにない(誉めてほしい訳ではなく難癖つけられそうという意味だ)。失敗したら後々までからかわれそうだし。
 アメリアは紅茶派だからコーヒーを飲まない。ゼロスには実験台とは言え煎れてやりたくない(それにどんな味でも「美味しいですよ」と何とかの一つ覚えよろしく言いそうだ)。ルークは味オンチだしミリーナは……下手に煎れると何を言われるかわからないし……。他に誰か実験台にできそうな人いたかな。
 やかんの残り少なかったお湯を捨てる。新しく水を入れて火にかけた。これは自分の紅茶用だ。コーヒーは機械を使う。エスプレッソマシンと呼ばれる機械だ。買えば高い。実はフィリアにお古を譲ってもらった。
 お古と言っても一度も使っていないそうだ。客用に買ったが置く場所に困り、持て余していたらしい。貰っていいのかと尋ねると、彼女曰く「コーヒー好きな方は滅多に来ませんから。来ても紅茶かインスタントをお出しすればいい話です」と澄まして答えた。要は客に紅茶かインスタントコーヒーで我慢しろと言っている訳だ。それで本当にいいのかと思ったが、彼女がいいと言っているのだからいいのだろう。あたしは幸い紅茶派だ。
 ――ほんとうに、貰ってばかりだ。
 緑茶もフルーツティーも、レゾが来る前に出したクッキーも。エスプレッソマシンも。あたしは何もお返しできていない。
 バレンタインだってそうだ。なにも用意できなかった。食べればおしまいの食べ物ではなく、なにか凝ったプレゼントを送りたいと思ったのがいけなかった。
 街中にバレンタインの文字が踊り始めた頃。気が早いと苦笑して気にも留めなかった。そうこうしている内に間近に迫り、慌てて何にしようと考えても焦りしか出てこなくて。気が付けば過ぎていた。
 バレンタインは二月の半ば。学校はない。約束が無ければ殆ど誰とも会わない。レゾは一月からずっと忙しそうだった。わがままを言えないと電話もメールも控えていた。もちろん会う機会も無く。
 連絡は主にレゾから。それさえ週に一回あればいい方だった。彼はマメだ。余裕がある時は毎日電話かメールをくれる。出来なかった、イコールよほど忙しかったのだろう。
 だからって何も用意できなくてバレンタイン過ぎてから後悔してるあたしもあたしだけど!
 今からでも、なにか――なんでもいいから何か用意できないかな。遅くなったけどって渡す絶好のチャンスなのに。この先、いつまた会えるかわからない。いざとなれば郵送という手もあるか。
 ありきたりでもチョコレートを作っておけば良かった。材料があれば今からでも作るのだが。
「お手伝いします」
 かろうじて悲鳴を飲み込めた。
 声で誰かはわかったが(第一、家には彼とあたしの二人しかいない)確かめずにいられない。首を捻って背後を見上げる。やっぱりいたのは当たり前のような顔をしたレゾだった。
 ぼうっと考え事をしていて接近に全く気付かなかった。今日はよく驚く日だ。
「い、いいいいいわよ別に大丈夫だから」
 動揺が如実に表れている。我ながら情けない。ポーカーフェイスはそれなりに得意だが、声に出ているならまるっきり無意味だ。
 顔の向きを元に戻す。
「ひとりでも、ちゃんとできるし」
 ……何回も練習したから。という言葉は飲み込む。照れくさかった。
 挽いた豆を入れてある戸棚に右手を伸ばす。頭の位置よりやや上、砂糖やコショウ類などと同じ場所に収納してある。
「それにお客に手伝わせるなんて――――」
 トン。
 手が小さな音と共に置かれた。取っ手を掴んだあたしの手の横に。ほぼ同時に頭を挟んで左側の戸棚にも。体こそ触れていないが、抱きしめられたような格好だ。どこへも逃げられない。
 血が顔に集まった。
「迷惑ですか?」
 う、うわ。息が頭にかかる。体温が近い。触れそうで触れない距離。手も後ろのレゾとも。
 手を取っ手から離せない。体をどこかしら動かせば彼に当たってしまいそうだ。真っ赤な顔を見られたくない為に振り向きたくても振り向けない。
 迷惑だなんてとんでもないただ客として迎え入れたのに手伝わせるなんて非常識な真似をできる訳がないってだけでそれにレゾから見たらあたしがコーヒーを煎れる様なんて下手すぎて目も当てられないに違いないだろうし第一恥ずかしいでしょうがじっと見られてたら緊張するし緊張して失敗したなんて笑い話にもならないしって言うかこの体勢なに。
 言葉は口から出ず彼方へ消え去る。残ったのは逃げたいという気持ちのみ。
 会えたのは嬉しい。嘘偽り無く真実そうだと言える。でもこんな間近で、逃げ場も逃げ道もなくて、レゾと自分以外の誰もいないなんて。そんなの。
 どうしろっていうの。
 心臓が壊れそうだ。体温は上昇を続けてその内に体中の水分が沸騰するのではなかろうか。
「……、……ち、違っ」
 やっとの思いで否定の言葉を出せた、と思った瞬間に。手が肩に落ちた。あたしの手ではない。レゾの手だ。レゾの手があたしの肩に落ちた。
 くるりと体を180度回転させられる。当然、正面にはレゾがいる。反射的に見上げる。
 視線が合った。もう、目も逸らせない。
 相変わらず整った顔だ。でもやつれているように見える。冬という季節を抜きにしても青白い肌、唇もがさがさ。目の下にうっすらある隈――ひょっとして寝てないのだろうか。睡眠は最低でも5時間以上取れっていつも言っているのに。それともあたしに会う為に、会う時間を作る為に仕事を休み無く片付けていたのだろうか。睡眠も、食事も抜きで? ここに来るまでずっと?
「リナさん」
 肩の手が頬に移動する。反射的に体が竦む。
 手袋はしていない。素のままの手だ。ひんやり冷たい。手袋無しで来たのではないだろう。玄関のドアを開けた時に手袋を見た気がする。
 もともと冷え性なのか。それとも来るまでに冷えてしまったのかはわからない。
 すこしでも温めたいと上に自分の手を重ねた。
 いつだって受身だ。仕事の忙しさを知っているから自分から連絡を取れない。彼からの連絡を待つ日常だ。自然、デートの誘いなども彼から。
 たまにこうして会えてもどこか逃げ腰になってしまう。スキンシップが苦手なのだ。どんな顔をすれば、どんな反応をすればいいのかわからない。今だってそう。体ががちがちに強張っている。逃げ出したい気持ちも変わらずある。
 だけどここで逃げたら。ずっと受身でいたら。それはある種の拒絶と同じではないだろうか。
 好きだという気持ちを一度も表さなければ、いつしか誤解されるのでは?
 自分から行動を起こすのは恥ずかしい。恥ずかしくても。好きという気持ちは確かに存在している。触れたいという気持ちだって、ある。滅多に行動に移せないけど。認めるにも勇気が必要だが、触れられて嫌だとは思わない。嬉しい。素直に言えなくても。
 いま何もできなかったら、この先もずっと何もできない。
 伏せた目を上げる。レゾの手は温もりが戻りつつあった。寒さで赤かった顔も平素の色に戻っている。
 視線が絡む。感情の色を読み取る前に。レゾが動いた。
 手が離れていく。残念に思う間も無かった。そうっと――気弱さすら感じ取れる動きで――体を彼の体に押し付けられる。
「私を…………、拒まないでください」
 ああ、やっぱり。
 たぶんあたしが思っていた以上に彼を不安にさせていた。
 不思議と心が落ちつく。焦りも逃げ出したかった気持ちも、どこかに消えていた。
 腕をレゾの背中にまわす。
 失いたくない。彼も、彼へ向かう気持ちも、ふたりでいられる時間も。
 肩口に額を当てたままで話す。
「拒んでた訳じゃないの。ただちょっと、恥ずかしかっただけ。――ごめん」
 いらない不安を与えてごめんなさい。でも大丈夫。あたしがレゾを拒むなんて有り得ない。好きだから。レゾがあたしにくれる気持ちには負けるけど。
 大丈夫。何が大事か、誰が大事かわかっているから。失わない為に何をすべきか、ちゃんとわかっているから。
 抱きついた姿勢を変えず顔だけ上げる。
 しっかりレゾを見つめる。
「バレンタインに何かあげたかったんだけど、なにも用意できなくて」
 次に会える日までに考えて用意しよう。なにもしなかったら、なにも伝わらない。誤解されたくない。嫌われたくない。ちゃんと伝えたい。
 レゾの顔がやわらかく変化する。その表情がいちばん好きだ。眼差しから伝わってくる。同じ感情を確かに共有できているとわかる。
 視線を合わせるのが恥ずかしくて、見られているのが恥ずかしくてたまに逸らしていたけれど。もうやめよう。全身で受けとめよう。せっかく一人占めできる立場にいるのだ。独占しないなんて勿体無い。
「構いません。リナさんと過ごせるなら、それで」
 うれしいけど、さみしい。だから。
「うん。でもね。ちゃんと伝えたいから」
 バレンタインというイベントにこだわっているのではない。ただ、チョコレート会社の陰謀でも、想いを伝える勇気をくれる素敵な日だと思う。この国ではお祭り騒ぎとしか捉えられていなくても。
 感謝と愛情をできるなら形に変え渡したい。ホワイトチョコレートよりも甘く、ときどきブラックチョコレートよりも苦い気持ちを。
 今日はホワイトデーだから確実に一ヶ月以上の遅刻だ。それでも。
「受け取ってくれる?」
 人間の気持ちは不定だ。いつどこでどう変わるかわからない。だが変わらない為の努力ならできる。
 つたえたい。もう不安を与えないように。誤解されないように。嫌われないように。
 ――――好きという気持ちを。
 ええ。もちろんです。
 囁きが耳に落とされた。くすぐったくて首を竦める。
 レゾの腕は離れない。捕まえていてほしい。ずっと。捕らわれていたいから。ずっと。この腕の中に。
「せっかくですから、ふたりで出掛けませんか? 私もお返しとして何かプレゼントしたいですから。今日ではなく後日」
 付け足された言葉に首を傾げる。きょう出かけられない理由でもあるのだろうか。出かけられないなら、もとよりあたしの家に来ないはずだが。
 疑問を察したのだろう。レゾはいたずら好きの子供のような笑みを浮かべた。
「今日はふたりきりで過ごしたいので」
 照れるより頷いた。一利ある。なかなかふたりの時間を持てないから。たまには静かにゆっくり過ごすのもいい。一番ぜいたくな時間の使い方だ。
「携帯の電源は切ってますか?」
 唐突な問いに目をしばたたく。彼は何か企んでいる顔のままだ。とりあえず「切ってないけど……レゾから連絡あったら困るから。どうして?」答えてから尋ねた。
「では私はここにいますから、もう必要ありませんね。切っておいて下さい、誰にも邪魔されないように」
 呆れるやら茶目っ気たっぷりなセリフがおかしいやら。
 思わず声を出して笑って、そうねと了解した。
 そんな日があってもいい。出かけずにふたりで過ごすのだから電子音に邪魔されたくない。
 貴重な時間を満喫する為に、まずは――――。
 さっきからやかましいやかんを火から解放しよう。ふたりの時間は、そこから始まる。










――終。

稿了 平成十六年三月十四日日曜日