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DAY AFTER DAY | ![]() |
片手で電卓を叩き、片手で書類を数える。 そうかと思ったらパソコンで何やら入力している。もちろんブラインドタッチ、手元なんか見てない。 仕事している姿は見慣れている。今更珍しくも何ともない。なのにいつも気づけば見てしまう。観察してて飽きない(言うと見世物じゃないって拗ねるから言わないけど)。いまも両手で抱えていた本の内容なんてどうでも良くなっている。 「いいのか」 ……ひとりごと……じゃ、ない、わよね? 相変わらず顔は書類とパソコンのディスプレイを行ったり来たり。キーボードを叩く手も休まない。頭が仕事でいっぱいになっているのかと思いきや。あたしを気にする余裕があるらしい。器用なひとだ。聖徳太子は十人同時に喋っていても誰が何を言っているのか聞き分けられたらしい。このひともできそう。訊いたら、おまえはできないのかって普通に訊き返されそうでコワイ。 「なにが?」 話しかけてくるまで会話はほぼ無し。突然いいのかって言われても何がいいのやら。ことばの意味がわからなくて当然だ。 んしょっとハードカバーの大きな辞典を閉じる。ガラスのテーブルに置いて彼に向き直った。彼はあたしがどこ見てようとお構いなしに仕事に取り組んでいる。さっきのセリフを幻聴かと疑いたくなる。 「帰らなくても。一応今日は大晦日だろう。帰るなら送るが」 一応と付けるところが彼らしい。声を立てずにこっそり笑った。 盆暮れ正月も関係ナシ。とことんマイペースで他人を振り回すのが好き(本人は周りが勝手に振り回されているだけと言い張っている)。自分の思うまま行動する。価値観が人よりずれてるから次の行動を予測できない。あたしもどちらかと言えば彼と同じく巻き込み体質だけど、彼に関わると否応なく皆、巻き込まれ体質に変わる。それも悪くないと思えるのが不思議でならない。……まあ、彼を嫌いな人は巻き込まれるのが嫌かもしれないけど。 「どうせ帰っても誰もいないし。邪魔なら帰るわよ?」 決して卑屈さから出た言葉ではない。邪魔したくないという殊勝な気持ちも持っていない。 とくべつ用事は無い。彼にもこの場所にも。暇だから来ただけ。暇を持て余すのは家にいてもここにいても同じだ。辞典を読んでたのだって目についたからパラパラめくっていたに過ぎない。 つまらないから構ってと言うほど子供ではない。構ってほしい訳でもない。そりゃ話し相手になってくれるなら暇潰しになるけど。そんな程度の考えでここに来た。どこにいたって同じ。同じならここに留まるも帰るも変わらない。 そう思っているのが伝わったようだった。笑われた。手を止めてまで。 「いや? そろそろ終わる、コーヒーを煎れてくれるか」 二時間くらい前に休憩した時も飲んだのに、まだ飲むの? 胃が壊れないのかな。煙草吸うしお酒飲むしコーヒーブラックで飲むし……早死にしそう(食事、睡眠、運動はしっかりしてるから案外長生きしたりして)。 言ったって聞かないから言わない。無駄は嫌い。彼だってわかってやっている。好きにさせておけばいい。お説教は嫌いだ。するのもされるのも。彼もそうだろう。それなら尚更、口うるさい母親役なんてごめんだ。 快諾してソファから立ち上がる。 「インスタントでいい?」 見ると早くも仕事を再開させていた。……顔はまだ笑ってるけど。 「サイフォンで煎れてくれ。ちょうど飲める頃に終わる」 わがまま。とは言わず、はいはいと食器棚からサイフォンを取り出す。二時間前も同じやり取りをしたような。 あたしもなんか飲もうかな。紅茶、よりココアがいい。あったまる気がする。 夕食を終えてからそろそろ六時間が経つ。日付ももうすぐかわる。年の瀬なんだっけ。冬休み入ってからずーっと同じ日々の繰り返しで実感わかない。 来年になっても全く同じ日々の繰り返し。年末だから正月だからって何もしない。実感などわきようがない。買い物途中に特設コーナーを見かけて、そんな時季かと思う。意識するのはその一瞬。次の瞬間にはもう忘れている。 まあでも日付と時間を考えてソバなら食べてもいいかな。ちょっとお腹空いたから。 ココアはやめて玉露で。ココアはソバに合わない。紅茶もコーヒーも然り。 これには苦い思い出がある。以前、みたらし団子を食べた時に気分で紅茶を選んで失敗した。なにか飲みたいなら合わせるべきだ。それがイヤならいっそなにも飲まない方がいい。 「豆はー?」 やかんでお湯を沸かしてコーヒーカップとソーサー、急須と湯呑み、茶葉を出す。勝手に冷蔵庫を漁り(日常茶飯事)ソバと長ねぎも。ソバのつゆはソバを買った時に一緒に付いてきた。作らなくていいのは楽だ。 夕食を作る際に確認したところ、飲み物はオレンジジュース、ジンジャーエール、水、牛乳など揃っていた。お酒は冷蔵庫に入っていない。ビールは(彼が)飲まないため(口に合わないそうな)そもそも買わない。ワインなどはワインセラーに置いてある。食べ物なら野菜はひととおり、魚も肉も果ては冷凍食品まで充実していた。冷蔵庫、冷凍庫には隙間がほとんど無い。 驚いてはいけない。ここには何でもある。自分で料理しないくせに。なんでいつもいつもあたしに料理させるんだか。答ならわかってるんだけど。「おまえが作った方が美味しい」なんて言葉じゃ誤魔化されない。自分で作るのは面倒だから、に決まっている。なのに食材は自分で買うところが理解できない。それも何故かはわかっている。外食が嫌い、自分で作る気もない。食材は買うから作れと、そういう意味だ。あたしはハウスキーパーか。 彼が作れないならまだわかる。作れるから愚痴を言いたくもなるのだ。 「ブルーマウンテン」 買い置きのひとつを棚から出した。残りはあと二回分くらい。他の豆もチェックする。極端に減っているのはブルーマウンテンだけだった。明日買いに行かないと。自然と考える自分が嫌だ。 悔しいから彼を無理やり連れだそう。人ごみは嫌いだなんて言わせない。もうコーヒー煎れてあげないと言って脅せばいい。あたしだって人が多く集まる場所を好きになれないのだ。彼にばかり楽などさせてやらない。 「ソバ食べる?」 出来上がってから文句を言われるのはイヤだ。それなら最初から訊いて確認を取る。 「蕎麦? ……ああ、年越し蕎麦か。そう言えば明日は元旦だな」 さっき自分で一応今日は大晦日って言ったの覚えてないんだろーか。訊く前から答がわかる。「そんなことも言ったか」と言うに決まってる。 行動は読めないけど言動なら多少、読めるようになってきた。嬉しいんだか悲しいんだか。 「私の分は用意しなくていい。おまえのを食べる。一人分も要らない」 わっがまま。よっぽど言おうかと思ったけどやめた。笑いながらおまえに言われたくないって言われる。そんなにわがまま言った覚えなんて無いんだけど。 食事はちゃんとリクエスト訊いてその通りに作るし、作れなかったら教えてもらって覚えるし、いまだって黙ってコーヒー煎れてあげてるし(まだ準備段階だけど)、プレゼントねだったりしないし(欲しい物は自分で手に入れたいから)、電話もメールも滅多にしないし(必要を感じないから)、自分からはあまり会いに行ったりしないし(会いたいと思う時に限って大抵向こうから来る)、仕事してる時は邪魔しないし、仕事してない時だって纏わりついたりしないし。こんなにわがまま言わない女も珍しいわよ。って自分で言うから悪いのかしら。 鍋に水を入れ火にかける。フタをしてこちらも沸騰待ち。皿とハシをテーブルに並べ準備万端。胃袋の準備も万端。二人分出していたソバをもう二人分追加する。彼への嫌がらせではなく自分で食べるのだ。一人分プラス半人分では物足りない。 鍋の水を追加する。そうこうしている内にやかんが騒ぎはじめた。火を止める。まずサイフォンのフラスコに熱湯を注ぐ。次にコーヒーカップ、茶葉を入れた急須に。コーヒーカップに湯を注ぐのはカップを温めるため。急須のほうは、恥ずかしながらあたしが猫舌なため。ぬるくなってからでないと飲めないのだ。 フラスコの水滴を拭きランプに火をつける。ロート(コーヒーの粉を入れる容器)にフィルターを当て粉を入れる。フラスコ内の熱湯の沸騰を待ち、一旦火を止める。湯の泡立ちが収まってからロートをセットする。ふたたびランプに火をつけフラスコを熱する。 放っておくとフラスコ内の湯がロートに上がっていく。これを見るのが好きだ。何度見ても不思議な光景で。サイフォンで煎れろと言われた時に文句を言わなかった理由の一つだったりする。重力への反乱。仕組みを説明されても感覚で理解できないに違いない。 急須から湯呑みにお茶を注ぐ。飲める頃にコーヒーも飲めるようになっているだろう。 空気が動く。足音は意識して立てようとしなければ聞こえない。毛足の長いじゅうたんなのだ。 「仕事は終わったの?」 振り向かないで声のみ後ろに投げかけた。目はサイフォンから離さない。 「終わらせた。鍋が騒いでいるぞ」 上から目の前にぬっとソバの袋四つを突き出された。片手で軽く掴んでいる。手が大きい。自分の手と比べると、大人と子供だ。ソバを両手で受け取る。あたしはさすがに片手で持てない。 上体を反らす。顔がさかさまに見えた。 「今日は終わり?」 顎を支えられて鼻先に口付けられた。……なんで鼻なの。 首が痛くなる前に姿勢を戻す。ソバを持って鍋の前に立った。一旦火を止めてからソバを入れる。 「ああ。デスクワークは暫く無しだ」 あたしのかわりにロート内を攪拌している。彼に任せソバをかき混ぜた。 ソバつゆは熱湯で戻せばいいだけ。ソバが出来上がってから戻す。 「あしたも?」 珍しい。デスクワークが生き甲斐であるような彼が。というのも会えば必ず書類に囲まれている。仕事をさっさと終わらせる日もあれば、会ってから別れるまでずっと書類漬けの日もある。これで仕事が嫌いだなんて言ったら耳を疑う。いや、彼の正気を疑う。 鍋の水は静かだ。目を離したら焦げる訳でもない。たいくつ。彼にソバを任せてサイフォンに構っているべきだったか。断られそうだけど。自分で食べるんだから自分で作れって。じゃあコーヒーはどうなのよ。 あ、そういえばまだネギ切ってなかった。 包丁とまな板を出し、ついでとばかりにザルとボウルも出す。 ボウルに水を溜めてから長ねぎを刻みはじめる。 「そうなるな。二月までは仕事自体、休みだ」 指を切り落とすかと思った。 やすみ? 休み!? 休むの? 仕事を? 耳、正常よね。幻聴でも聞き間違いでもない。頭もおかしくなってない。 まるまる一ヶ月、休む。仕事人間の彼が。天変地異の前触れ? 世紀末はすぎたのに。 驚きは大波のごとくあたしを襲い一瞬で去って行った。 ――――休み? 「……ヒマ?」 用は無い。寂しくもない。仕事があると遠慮もあって隔週に一回、来るか来ないかだった。尤もいつもそう頻繁に訪ねていた訳ではないが。学校がある。部活もある。宿題もある。高校生だって忙しい。冬休みに入ったから時間があるのだ。 けれど仕事が無いなら堂々と遊びに来られる。冬休みの宿題など疾うに終わらせてしまった。ヒマなのはあたしだ。 再び鍋の水が沸騰してくる。火を止めソバをザルにあげる。カランを捻り水を出しっぱなしにする。ザルからソバをボウルに移した。かるく水洗いして出来上がり。あとはつゆを戻せば終わり。 ふと見るとコーヒーは作り終わったようだった。食卓テーブルに浅く腰掛け飲んでいる。 じ、自分ばっかり先に……。ズルイ。待ってくれてもいいのに。待ってくれる性格だとも思ってないけど。 「ヒマだが初詣は行かないぞ」 むっと唇を尖らせる。あたしが率先して行くとでも思っていたのか。 「行かないわよ。箱根駅伝あるし。あたし人ゴミ嫌いだもの」 ぼーっと見ているだけでも結構な暇潰しになる。こたつに入ってみかん食べながら見るのだ。途中でうたたねしたり。時間の無駄遣いは最高の贅沢だ。一人ではなく二人で、なら尚更に。 今年こそ山梨に優勝してほしいんだけどな。毎年いいとこまで行くんだけど。予選もそうだったのよね。 もとい。違う。箱根駅伝について語りたいのではない。 「ふたりでだらだら過ごすか」 見透かされている。不快にならないのが不思議だ。不快どころか嬉しい。同じだと思うと安心する。どちらかが無理して相手に合わせるのではなく、同じタイミングで同じ考えを持つ。それが嬉しい。 微笑みに心を温められる。 「……うん」 水を切って皿に盛りつける。皿を洗う手間を惜しみ一枚の大皿にあけた。こうして見ると結構な量だ。 彼はあたしが人よりちょっと多く食べても、なにも言わない。はじめからそうだった。本当に(すべて胃に)入るのか疑うでもなく驚きもしない。太るぞと女性には禁句である言葉も言わない。あるがままを受け入れる。もとから知っていたように。あるいはそれが自然であるかのように。 あたしを認めてくれる。あたしをあたしとして見てくれる。誰とも比較しない。親でも教師でもないからお説教もしない。 つゆを湯で戻す。食卓に持って行くと大皿が無かった。 「こっちだ」 犯人は彼だった。どうやらリビングで食べるらしい。片手で軽々と大皿を持ち、もう片方の手にはコーヒーカップ。プラスチックでも持っているかのようだ。大皿自体重いのに。四人分のソバを盛り付けた皿を片手で簡単に支えられると、ここを月かと思う。重力を信じられない。サイフォンなんて比較にならない。 リビングにはソファとガラスのテーブルがある。テーブルはテーブルとして使われていない。テレビを見る際の足置きとして買ったと言っていた。事実、彼は足をテーブルに乗せて使っている。 自ら行儀の悪さを披露する。ひょっとしてお説教したくても出来ないのでは。 でも彼の場合は行儀が悪くても下品にならない。なまじ顔とスタイルが良いからなんでもサマになってしまう。どこか優雅に見える。顔がいいと得だ。 「リナ」 手招きはない。あからさまな催促もない。静かに待っている。来ると確信しているから余裕を持てるのだろう。余裕は苛立ちを生まない。不要な摩擦がなくなる。 そうっとソファまで歩く。つゆをこぼさないよう注意して。 テーブルはソファに合わせてある。高さがないのだ。およそ食事に向かない。しかも普段は足置きに使っている。礼儀作法を躾られていれば誰もが顔を顰めそうだ。平然とやってのける彼を尊敬する。 つゆをテーブルに置く。彼の隣に座る前に脇をがっしり掴まれた。叫ぶ時間もない。すとんと彼の足の間に座らされる。 「じゃあ食べるか」 強引でわがまま。だけど彼の望みがあたしの望みに繋がっているから許容できる。彼が向いて歩いている方向をあたしも見て歩いているから心地良い。相性が良いと言うのか馬が合うと言うのか。なんでもいい。ふたりが快いなら。 ハシは一人分しか用意していなかった。 ……まさか、まさか「はい、あーん」は……要求されないわよね。 食べにくいし食べさせにくい。第一その類のコミュニケーションは彼もあたしも敬遠している。 嫌がらせで強要はされそうだけど。 イタダキマスと手を合わせて食べ始める。心配は杞憂に終わった。彼は背後で大人しくしている。コーヒーを飲み終わり手持ち無沙汰らしい。あたしの脇の下に腕を通しゆるく抱き締めている。力が入っていないから、くすぐったくない。 「食べる?」 斜め後ろを振り向き目を合わせる。 何故か応えがない。 不意に視線が移動する。追った先には時計があった。針は零時ちょうどを指していた。 なにを言う間も思う間すらもなく。 「あけまして、おめでとう」 囁きが耳に落とされた。 この上なく彼に似合わないセリフだった。彼は暦も行事にも関心を示さない。嬉しかったのは、だからかもしれない。未来の約束までされた気がした。 食事なんて頭から飛んで行った。意識を彼で埋め尽くされる。 破顔して、彼の頬にてのひらを当てた。 「――おめでとう。今年もよろしく」 キスをもらってくすくす笑う。強くも弱くもない、この拘束があたしを縛る。 盆暮れ正月も関係ない。きっとずっと同じ日々が続いていく。その日々のなかで、同じ時を重ねて行けたらいい。いつまでも。 ガラではないけれど素直に思った。 明けましておめでとう。 今年も、あなたと共に。 |